演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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4/8(火) 『ドコカ遠クノ~』 稽古3日目

4/8(水)15:00~22:00  天候:強い雨と風

【本日の身体状況】
●声帯周りが炎症気味
●じんわりとした腹痛
●腰・首に強い張りを感じる
●比較的気温が低いせいか身体にこわばりが見られる

【本日のテーマ】
◆外界からの刺激を丁寧に受け取り、それによって生まれたものを素直に外界へ発信する。人の想いの循環への意識。

【本日の稽古レポート】
この時期の極端な気温の変化というのはなかなか厄介なもので、稽古に挑むまでの準備をおろそかにしてしまうと簡単にアンテナの感度が鈍くなってしまう。
今日は特に寒かった事もあり、そこの部分に注意を払ったつもりだったのだが、もっと徹底してよかったかなと稽古に入ってから感じられた。というのも、稽古開始直後にはなかなかよい精神状態で空間に身を置くことができたものの、それが最後まで持続できなかったため。
稽古場に入ってからの一時的な刺激で瞬間的に感覚を開こうとするのではなく、もっと身体の底から覚醒させていける準備を心掛けてゆく事が重要で、そうするためにはきっと、朝、目が覚めてからどのような事を心掛けて過ごし、如何にして稽古時にベストの身体の状態に持ってゆけるのかを意識してゆくのかが大事なのだと思う。

さて、稽古の方もその傾向が分かりやすい形で表れており、最初のシーン稽古では非常に素直に「受信⇔発信」という循環を生み出せていたのだが、回数を重ねてゆくうちに「今」に対する集中が薄くなり、外界からの刺激への反応にどこかしらロックがかかった状態になってしまっていた。自らの心からの衝動をストレートに外へ発する事をためらってしまった。

感じたものを押さえ付けず、かといって飾りも加えずにそのまま発するためには、やはりそれ相応の準備が必要なのだという事を再確認させられた。

それは前述の「外界に対するアンテナの感度を高めるための準備」に加えて、「自分の役及び作品そのものに対し如何にアプローチをかけてゆくかのプラン」を具体的に用意する事も重要になってくるのだが、今日の自分は両方とも不徹底だった。だから役を生きている実感を得られなかったのだ。

もちろんそのプランはあくまでも指針であり、「手放す」事を前提に立てるものなのだが、だからこそ具体的である必要があるのだと思う。具体性のないプランや、何の準備もない状態で舞台に上がるというのは単なる無責任なノリ芝居であり、それでは稽古の意味はない。が、だからといってプランをガチガチに固め、そのプランに安住してしまう事も大変危険な事で、そこにあるのは「嘘」のみであり、決して「本物」は存在しえないのだと自分は思っている。

可能な限りプランは具体的に立て、それを自らの身体に落とし込み、その上で手放す。
だからこそ先日書いた「再現性」と「新鮮さ」の同居を実現できるのだ。

逆に、準備が足りないと人間は不安になり、不安があるから予測に頼ってしまう。
そして、予測が混じるという事は作為であり、役を生きている事には決して繋がらない。
だから外界の刺激に対しての反応が一瞬早かったり遅れたりする訳だ。
独りよがりの芝居は、きっとそういったところから生まれてくるものなのだと思う。

「関わり合い」
それこそがお芝居における最大の魅力のひとつなのだから、役者の怠慢によってその楽しみをお客さんから取り上げてしまう事は決して許される行為ではない。


【明日への宿題とテーマ】
◆宿題:自分の役、及び作品へのアプローチ方法の具体的なプラン立て
◆テーマ:「状態」だけをつくり、その空間に存在する


横山 真
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by yukinone_makoto | 2008-04-09 01:09 | 稽古場日記