シェアリング
2008年 02月 02日
最近、「シェアリング」こそが何事においても今後生き抜いてゆく上で重要な発想なのではないかなと強く思うのです。
それは「ギブ&テイク」という発想とは一見似ているようで違っていて、与える事への見返り云々というよりは「自らの思考・発想を他者と共有する事により見えてくる“何か”の発見」のための発想です。
完全な受け身、もしくは自分の見ている世界以外の発想の排除といった思考回路では、決して前進はできないと思います。
特に芸術に関わっている人間は。
昨年一年間で、自分の中身を出し尽くした時にだけ、成長というものができるのだなという事を実践で学びました。出し惜しんでいる限り、余力が残っている限り、絶対に自らの容量は増えないのだなと。
自らを出し尽くし、自分の器に真空状態を作り出す事で、自分でも思いもしなかったものがその真空を埋めるために入り込んでくるのだなと、昨年一年間の経験で実感したのです。
枯渇が怖くて出し惜しみをする方が、己の器の縮小に繋がる…面白いものです。
…なんだか取りとめもない文章になってしまいましたな(苦笑)
横山 真
それは「ギブ&テイク」という発想とは一見似ているようで違っていて、与える事への見返り云々というよりは「自らの思考・発想を他者と共有する事により見えてくる“何か”の発見」のための発想です。
完全な受け身、もしくは自分の見ている世界以外の発想の排除といった思考回路では、決して前進はできないと思います。
特に芸術に関わっている人間は。
昨年一年間で、自分の中身を出し尽くした時にだけ、成長というものができるのだなという事を実践で学びました。出し惜しんでいる限り、余力が残っている限り、絶対に自らの容量は増えないのだなと。
自らを出し尽くし、自分の器に真空状態を作り出す事で、自分でも思いもしなかったものがその真空を埋めるために入り込んでくるのだなと、昨年一年間の経験で実感したのです。
枯渇が怖くて出し惜しみをする方が、己の器の縮小に繋がる…面白いものです。
…なんだか取りとめもない文章になってしまいましたな(苦笑)
横山 真
by yukinone_makoto
| 2008-02-02 01:39
| つれづれと