演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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演出家と指導者って違くね?

と、よく思う訳ですよ。
あ、どーも、横山です。

まあ、なんでいきなりそんな事タイトルに持ってきたのかというと、実は自分、昨日までWSの講師やっていたんですよ。『声と身体の処方箋』っていう、横山が指導者として主宰している団体でのWSっす。

なんだかね、やっていて根本的に発想が違うように感じるんです。

指導って、受講者(この場合は役者ですな)のために行なうのだけれども、演出家っていうのは、常にお客さんに相対さなければならない訳ですわ。
お客さんが観て満足のいく作品を創るのが演出家の仕事な訳で、そこで役者が育つ育たないはあまり重要な事ではないのだと思う。

もちろん育ってくれるに越した事はないのだろうけれども、それは役者本人が自分で考え自力で自らの道を見つけてゆかねばならない事なのだし、なにより実践は一番の勉強なのだから、演出家はそっち方面(育成)については余計な事をしない方が役者のためにもよいのではないかと思うんですよ。

そこのところで、指導者と演出家は違うと感じるのです。

自分はしっかりとそこを別物として考えておりますし、だからこそ指導者と作品創造の団体を別に分けているのです。



ならば、演出家は何をすればよいのかと言えば、「己のフェティシズムを作品に投影させる」事なのだと自分は思います。

よく、“評価”と“演出”をごっちゃにしている演出家がいるのだけれども、自分にはそれがよく分かりません。
たぶんこれは自分が役者気質であるからそう感じてしまうのだろうけれども、「横山君はさー、××なんだよね」とか言われてもそれはあくまでも評価でしかないのだから、そこからどうして欲しいのかを伝えない限り作品は前には進まないんです。が、世間にはこの評価の段階で止まってしまう演出家が非常に多い。

だから参加する役者によって作品の方向性がコロコロ変わってしまう団体がこの世には多いのだと思います。


結局、万人に分かってもらえるような作品を創り出す事というのはまず無理な事なのではないかと思います。何故なら人は一人ひとり違う思想を持っているから。あのジブリ作品ですら嫌う人がいるくらいですよ。思想の統制は不可能に近いです。

「万人の友人は誰の友人でもない」という先人の言葉もあります。

ならば、何を以て作品に価値を見出すのかと言われれば、己のフェティシズムしかないのだと自分は考えるのです。それに共感するかしないかという、その意見の分かれ方が問題なのではなく、意見が分かれるところに価値があるのです。たとえ不満であっても、そのお客さんが作品に触れた事によって観る前の状態から変化しているのですから。


まあしかし、もちろんこれは自分の考え方なので全ての演出家がこうであるべきだなんてこれっぽっちも思ってはいやしません。

おそらく自分の考え方は偏っているのかもしれません。
しかし、そこに責任・覚悟を持った上で自分は偏っています。


横山 真
by yukinone_makoto | 2007-11-27 00:22 | つれづれと