演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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『ゴーストユース』

昨日、桜美林大学の学生を対象にしたチェルフィッチュの岡田利規さん演出作品、『ゴーストユース』を観てきた。

実は、自分は岡田作品は初めてだったのだが、観てみてかなりの衝撃を受けた。なんというか、月並みな表現になってしまうのだが「こんな表現もアリなのか」というのが第一の感想。

知人が「見せる自意識」という表現を使っていたのだが、まさに言い得て妙だと思う。

芝居における「観客と演者の間にある暗黙の了解、もしくは前提条件」を初っ端の第一声でぶち壊してくれてしまった。もっと言うと、観客席と舞台上の関係すら取り払ってしまい、今自分が目の当たりにしている人達の存在している空間は果たして現実なのか虚構なのか、いや、そもそも自分が今座っているこの観客席すらどうなのか…その境目が極めて曖昧で不安定な状態の中、作品だけが進行しているという不思議な感覚を覚えた。
終演時に、自分が舞台に立っていた時と同様の疲労感を感じたのは、おそらくはそのようなところからきていたのだろうと思う。

そのような感覚、どこかで感じた事があったなと観劇時にずっと思っていたのだが、ラストを迎えた瞬間にようやく気付いた。



このどこかで感じた事のある感覚…落語だ。

落語もマクラから入り、客席と演者が対等の状態からスタートするが、気付けばいつの間にやら本題に入っている。が、その本題の最中であっても演者はあくまでも伝達人であり「物語を語る存在」というスタンスは崩さず、舞台上と客席の空間は一貫して対等の空間である訳だ。

どちらかが虚構でどちらかが現実、という区切りがない部分におそらく自分は共通のものを感じたのだと思う。

あの終わり方にしても、落語におけるサゲと全く同じ効果・印象を受けた。虚構と現実の境目の、ひどく不安定な空間に身を置いている観客を一気に現実へと、しかもある種の清々しさすら感じさせながら引き戻してくれるのです。


前々から、「チェルフィッチュは話芸であり身体表現だ」という評価を聞いていたのだが、その意味を心の底から実感した1時間20分だった。
学生相手の演出作品という事で内容的な部分では観ていて少々照れ臭さも感じる部分があったけれども、ひとつの作品として観た時のレベルの高さに、やはり『型』というものの有効性を非常に実感した。

チェルフィッチュの本公演も是非観てみたいものです。

横山 真
by yukinone_makoto | 2007-11-21 11:56 | レビュー