5/20(日) 『方丈の海』稽古3日目
2012年 05月 21日
5/20(日)17:00~20:00 @10BOX box-3
【外界への印象】
《天候》
●晴れ
・風も少なく、穏やか
《空間》
・視覚的印象:何故かいつもよりも暗く感じた
・音:空調の音が大きくて、だいぶ気になってしまった
・その他:空気が硬いような感じがした
【稽古前の身体状況】
・肩甲骨が貼り付いているんじゃないかと思うくらいに、固い
・少し頭痛がする
・下半身に安定感がない
・呼吸が浅い
・腰が重い
【今日のテーマ】
◆一つひとつを丁寧に
【ふりかえり】
今日の稽古では『方丈の海』を最初から最後まで通しで読んでみた。
やはり通してみて初めて気付くことというのは沢山あるのだということを強く実感した。
特に今回の通しで大きかった点は、この『方丈の海』の稽古の初期の頃に石川さんに言われた「今回の公演の横山のテーマは“芝居をしない”だ」という言葉がどういうことなのかについてを、自らの身体に落とし込むための足がかりを見出せたことだ。
「芝居をしない」とは言っても、これが演劇である以上、芝居せざるを得ないのは石川さんも分かった上で言っている言葉だというのは百も承知ではあったのだが、まだその言葉の意味するところをなんとなくのニュアンス以上にはとらえきれてはおらず、これまでは探り探りの状態での稽古であった。
そのため必要以上に自らの演技が小さくなってしまっていたのも重々理解していたことであり、16日からの稽古再開後は、そこから先の、次のステップへと進むための“何か”を如何に早い段階で見い出せるかが勝負なのだと思ってもいた。
なので、今日のこの通し読みでそこに光明を見い出すことができたのはかなりの大きな収穫であった。
ではどのようにしてその気付きに至ったのか、というと、これも通し読みをやりながら浮かんできた「こうしてみよう」に従った結果であって、決して最初から「こういうアプローチで探ってみよう」みたいな風に考えていた訳ではなかった。
正直言って、通し読みの途中まではこれまでの稽古の延長線上で役との向き合いに取り組んでいた。
がしかし、途中で「このまま流れに任せていては最後のシーンの小節の台詞には繋がらない」という実感があったため、それに気付いてからは少し自分に無理をさせてみるように心がけて読みを行ってゆくようにした。
それはどういうことかというと、それを感じ始めていた中盤辺りから、自分なりの「芝居をする・しない」の境目ぎりぎりのラインを狙って読むようにし、そしてラストのシーンでの小節の台詞は過剰気味(それは横山真としてではなく、小節として)に読んでみるようにしてみたのだ。
結果、石川さんには「最後のあの台詞のテンションはいい」と言われたので、そこで、自分の中での「芝居をする・しない」ラインの引き方と石川さんの求めていたもののズレを明らかにすることができたし、今度はそこから小節という役を発想してゆけばいいなと、そういう思考回路に切り替えることができた。
まあ、このアプローチの仕方がいい方向に作用するかどうかは実際にやってみないと分からないとは思うのだけれども、ただ、ひとつ足がかりができたことで、強く動くことができるようになったことがとても大事なことなんだと思う。
強く動いてみることで、きっと状況も大きく変化してゆくのだから、あとはその変化の中で然るべき手を打ち続けてゆけばいいのだから。
また、今日の石川さんから言われた「もう少し声を大きくして欲しい」という要求に対しては、そのまま単純に声を大きくしてしまうことだけは絶対に避けなければならないなと思っている。
や、自分としては単純に発声的なアプローチを用いて今の芝居を崩すことなく声量を上げるようなことは全く苦もなくやれるのだけれども、たぶんそれが「芝居をする」ということに繋がるのかもしれないなと、そう思うからである。
声を大きくするためには、小節という役に何か声が大きくなるための要素を足さねばならなくて、その声量であることに必然性を持たせなければならず、きっとそれが、石川さんの言っていた「芝居をしない」ということにも繋がってくるのではないか。
「自らの身体に嘘をつかせない」、これをしっかりと心がけて小節という役へと向き合ってゆくようにしようと思う。
【その他気になったことなど】
・会話の時とモノローグの時、そして襤褸とのシーンの時とでそれぞれどう変化をつけるか。何が変化すると面白いのか。身体?声?そもそも変化の必要はあるのか。そこのところを突き詰めて考えてみる。
・会話の中心にはいないけれども舞台上には存在している時の在り方について。
次回の稽古は5/22(火)になります。
【次回(5/22)稽古に向けて】
◆宿題…訛りについてを扱っている書籍などを探してみる
◆テーマ…自らの身体に嘘をつかせない
横山 真
【外界への印象】
《天候》
●晴れ
・風も少なく、穏やか
《空間》
・視覚的印象:何故かいつもよりも暗く感じた
・音:空調の音が大きくて、だいぶ気になってしまった
・その他:空気が硬いような感じがした
【稽古前の身体状況】
・肩甲骨が貼り付いているんじゃないかと思うくらいに、固い
・少し頭痛がする
・下半身に安定感がない
・呼吸が浅い
・腰が重い
【今日のテーマ】
◆一つひとつを丁寧に
【ふりかえり】
今日の稽古では『方丈の海』を最初から最後まで通しで読んでみた。
やはり通してみて初めて気付くことというのは沢山あるのだということを強く実感した。
特に今回の通しで大きかった点は、この『方丈の海』の稽古の初期の頃に石川さんに言われた「今回の公演の横山のテーマは“芝居をしない”だ」という言葉がどういうことなのかについてを、自らの身体に落とし込むための足がかりを見出せたことだ。
「芝居をしない」とは言っても、これが演劇である以上、芝居せざるを得ないのは石川さんも分かった上で言っている言葉だというのは百も承知ではあったのだが、まだその言葉の意味するところをなんとなくのニュアンス以上にはとらえきれてはおらず、これまでは探り探りの状態での稽古であった。
そのため必要以上に自らの演技が小さくなってしまっていたのも重々理解していたことであり、16日からの稽古再開後は、そこから先の、次のステップへと進むための“何か”を如何に早い段階で見い出せるかが勝負なのだと思ってもいた。
なので、今日のこの通し読みでそこに光明を見い出すことができたのはかなりの大きな収穫であった。
ではどのようにしてその気付きに至ったのか、というと、これも通し読みをやりながら浮かんできた「こうしてみよう」に従った結果であって、決して最初から「こういうアプローチで探ってみよう」みたいな風に考えていた訳ではなかった。
正直言って、通し読みの途中まではこれまでの稽古の延長線上で役との向き合いに取り組んでいた。
がしかし、途中で「このまま流れに任せていては最後のシーンの小節の台詞には繋がらない」という実感があったため、それに気付いてからは少し自分に無理をさせてみるように心がけて読みを行ってゆくようにした。
それはどういうことかというと、それを感じ始めていた中盤辺りから、自分なりの「芝居をする・しない」の境目ぎりぎりのラインを狙って読むようにし、そしてラストのシーンでの小節の台詞は過剰気味(それは横山真としてではなく、小節として)に読んでみるようにしてみたのだ。
結果、石川さんには「最後のあの台詞のテンションはいい」と言われたので、そこで、自分の中での「芝居をする・しない」ラインの引き方と石川さんの求めていたもののズレを明らかにすることができたし、今度はそこから小節という役を発想してゆけばいいなと、そういう思考回路に切り替えることができた。
まあ、このアプローチの仕方がいい方向に作用するかどうかは実際にやってみないと分からないとは思うのだけれども、ただ、ひとつ足がかりができたことで、強く動くことができるようになったことがとても大事なことなんだと思う。
強く動いてみることで、きっと状況も大きく変化してゆくのだから、あとはその変化の中で然るべき手を打ち続けてゆけばいいのだから。
また、今日の石川さんから言われた「もう少し声を大きくして欲しい」という要求に対しては、そのまま単純に声を大きくしてしまうことだけは絶対に避けなければならないなと思っている。
や、自分としては単純に発声的なアプローチを用いて今の芝居を崩すことなく声量を上げるようなことは全く苦もなくやれるのだけれども、たぶんそれが「芝居をする」ということに繋がるのかもしれないなと、そう思うからである。
声を大きくするためには、小節という役に何か声が大きくなるための要素を足さねばならなくて、その声量であることに必然性を持たせなければならず、きっとそれが、石川さんの言っていた「芝居をしない」ということにも繋がってくるのではないか。
「自らの身体に嘘をつかせない」、これをしっかりと心がけて小節という役へと向き合ってゆくようにしようと思う。
【その他気になったことなど】
・会話の時とモノローグの時、そして襤褸とのシーンの時とでそれぞれどう変化をつけるか。何が変化すると面白いのか。身体?声?そもそも変化の必要はあるのか。そこのところを突き詰めて考えてみる。
・会話の中心にはいないけれども舞台上には存在している時の在り方について。
次回の稽古は5/22(火)になります。
【次回(5/22)稽古に向けて】
◆宿題…訛りについてを扱っている書籍などを探してみる
◆テーマ…自らの身体に嘘をつかせない
横山 真
by yukinone_makoto
| 2012-05-21 00:04
| 稽古場日記