11/7(土)18:00~ 『コドモもももも、森んなか』 3日目ソワレ
2009年 11月 13日
STスポット提携/マームとジプシー11月公演
『コドモもももも、森んなか』3日目ソワレ(11/7(土)18:00~) @STスポット
4ステージ目。
本日昼の回でようやく落ち着きを取り戻し、地に足の着いた芝居ができるようになってきたためか、2日目までのような浮き足立った感じはなくなってきた。
しかし冷静に判断すれば、昼の回と比較してみてもあまり作品の質が高まっている実感はなく、出来そのものは現状維持であったように感じた。
が、大幅にクオリティが落ちたとは言えなくとも、自分達で「現状維持」だと感じている時というのは、大抵の場合においてその前の回よりも質は下がっていると考えなければならない。
多少なりとも前進できている実感を持ててようやくトントン、くらいの認識でいないと、すぐに作品のクオリティは劣化してしまう。
この回は、物語の前半部分が物凄く走っていた。
1~2場までのタイム自体、確実にこれまでの稽古を含めて最速だったと思う。
しかし、その速さとは裏腹に、芝居そのものはしっかりと地に足が着いている感じであったため、その速さが作品に悪影響を与えるとまではいってはいなかったようである(まあ、良い影響を与えたとも言い難いが)。
自分の話をすると、この回の自分は全体的にエネルギーが不足していたように思う。
但しそれは、外に発せられるエネルギーが不足しているというよりは、その外に出ようとしているエネルギーを抑える力が不足してしまっていたということである。
だから、外から見ればむしろ横山のエネルギーは有り余っていたように見えたかもしれない。
が、それは実際には栓が抜けて空気が漏れ放題の風船のようなものであっただけである。
ただエネルギーを発することよりも、発せられようとしているエネルギーを抑え込むことの方が自分にとっては遥かに力を必要とするのだ。
今となっては、なぜその緩みをよい方向へと利用できなかったのかと後悔している。
自分の身体の現状を無視した状態で、これまでの感覚だけを芝居に持ち込もうとしていても、それは稽古の時の形だけをなぞることとそう大差はないのだから。
これまでの稽古で行ってきたことの目的は、そんなところにはないのだということをもう少し自覚すべきである。
バスケやサッカーなどの試合におけるパターンプレーだって、練習で行うのはあくまでも基本的な流れを身体に叩き込むことであって、試合中に全くその通りに行うために練習している訳ではないはずだ。
当然、相手チームの選手達はそのプレーを成立させにくくするために妨害してくる訳で、大切なのは目の前の状況にうまくアジャスト(対応)させてゆくことである。
芝居においても、目の前の状況にアジャストさせてゆかねばならないのは同じことだと思う。
どうもそういったところが自分はまだまだ甘い。
なんとなくで芝居を行ってしまう瞬間を、限りなくゼロに近付けてゆかねば、決して前進などできないと心掛けてゆくべきである。
横山 真
『コドモもももも、森んなか』3日目ソワレ(11/7(土)18:00~) @STスポット
4ステージ目。
本日昼の回でようやく落ち着きを取り戻し、地に足の着いた芝居ができるようになってきたためか、2日目までのような浮き足立った感じはなくなってきた。
しかし冷静に判断すれば、昼の回と比較してみてもあまり作品の質が高まっている実感はなく、出来そのものは現状維持であったように感じた。
が、大幅にクオリティが落ちたとは言えなくとも、自分達で「現状維持」だと感じている時というのは、大抵の場合においてその前の回よりも質は下がっていると考えなければならない。
多少なりとも前進できている実感を持ててようやくトントン、くらいの認識でいないと、すぐに作品のクオリティは劣化してしまう。
この回は、物語の前半部分が物凄く走っていた。
1~2場までのタイム自体、確実にこれまでの稽古を含めて最速だったと思う。
しかし、その速さとは裏腹に、芝居そのものはしっかりと地に足が着いている感じであったため、その速さが作品に悪影響を与えるとまではいってはいなかったようである(まあ、良い影響を与えたとも言い難いが)。
自分の話をすると、この回の自分は全体的にエネルギーが不足していたように思う。
但しそれは、外に発せられるエネルギーが不足しているというよりは、その外に出ようとしているエネルギーを抑える力が不足してしまっていたということである。
だから、外から見ればむしろ横山のエネルギーは有り余っていたように見えたかもしれない。
が、それは実際には栓が抜けて空気が漏れ放題の風船のようなものであっただけである。
ただエネルギーを発することよりも、発せられようとしているエネルギーを抑え込むことの方が自分にとっては遥かに力を必要とするのだ。
今となっては、なぜその緩みをよい方向へと利用できなかったのかと後悔している。
自分の身体の現状を無視した状態で、これまでの感覚だけを芝居に持ち込もうとしていても、それは稽古の時の形だけをなぞることとそう大差はないのだから。
これまでの稽古で行ってきたことの目的は、そんなところにはないのだということをもう少し自覚すべきである。
バスケやサッカーなどの試合におけるパターンプレーだって、練習で行うのはあくまでも基本的な流れを身体に叩き込むことであって、試合中に全くその通りに行うために練習している訳ではないはずだ。
当然、相手チームの選手達はそのプレーを成立させにくくするために妨害してくる訳で、大切なのは目の前の状況にうまくアジャスト(対応)させてゆくことである。
芝居においても、目の前の状況にアジャストさせてゆかねばならないのは同じことだと思う。
どうもそういったところが自分はまだまだ甘い。
なんとなくで芝居を行ってしまう瞬間を、限りなくゼロに近付けてゆかねば、決して前進などできないと心掛けてゆくべきである。
横山 真
by yukinone_makoto
| 2009-11-13 18:33
| 出演レポ