演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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カテゴリ:つれづれと( 43 )

昨晩の話ですが、

ありがたいことに、マームとジプシーの次回公演
『しゃぼんのころ』への出演が決定致しました。

公演の詳細は、トップから2番目の記事に掲載しております。

また、これまで通り稽古場日記も更新してゆくつもりですので、
ご興味ございましたらどうぞ覗いてみて下さいませ。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2010-03-25 08:27 | つれづれと

2009年総括

いよいよ2009年も大晦日となり、
00年代の最後を迎えることとなりました。

今年は、出演作1本のみ(WS発表会を含めれば2本だけれども)と、
これまでのことを考えたら驚くほど少ない出演数でした。

まあ、それも役者から半年ほど距離をとったためなのですが、
結果的にはこの判断は間違っていなかったかなと思っております。


今年のはじめ、、、いや、正確には昨年の9月なのですが、
自分は俳優としての自分に大きな失望を覚えてしまう瞬間がありました。

そしてそれは、その後も常に自分の中で引っかかっていて、
正直言って今年頭に行っていたWSの時などは
創作そのものが本当にしんどい作業となっておりました。

とはいっても別に創作そのものは楽しかったし、
発表会の時に舞台へと乗せた芝居は
決して見せ物になっていなかったとは思っていないですが。

しかし、自分の心の中のずっとずっと深い部分では、
どうしても拭えない自らの芝居に対する絶望感があって、
それが演劇と向き合う際の自分から素直さを奪っていたんです。


もうなんか、本当に悔しかった。

自分自身の心に負けてしまいそうなことにも、
それが分かっていながら何もできなかったことにも、
とにかく自分で自分を許せない要素があまりにも多過ぎた。

たぶん、自分の無力さに対して悔し涙を流したのは
あれが初めてだったような気がする。


まあ、そんなこんなで一度、
思い切って役者から離れてみようと決心した訳です。

や、そうは言ってもそんなあっさりとは決めてないですけどね、、、
もうほんと、無茶苦茶めんどくさい感じで長いこと悩んだ末の決断でした。

しかも、当初はこんなに早いこと復帰するつもりはなかったです。
最低でも1年は離れているつもりでした。

それが半年で済んだのは、
半分は、それだけ自分が演劇のことを好きだった、ということ、
そしてもう半分は、マームの藤田君との絆、だったのかな、と思います。

、、、なんか絆とか書いてちょっと恥ずかしくなってきた(笑)

でも実際問題として、
しばらく俳優から離れると伝えていたにも関わらず、
そんな自分に対して何度も声をかけてくれた藤田君の
熱意に心を打たれたのは紛れもない事実なんです。

だから、自分もそれ以上の熱意が生まれたとしたら
マームの11月公演に参加してみようと思い
(但し、もしそうならなかったら出てませんでしたが)、
実際にそのように気持ちが動いたため、先日の公演に出演した次第です。

そしてその後の経過は、このブログでの稽古場日記でも書いている通り。



実際に俳優から離れてみて感じているのは、
離れる前とは演劇そのものに対しての向き合い方が
まるで違っているということ。

というのも、離れていた時期に気付いたんですよ、
自分が思っていた以上に演劇のことを好きだったんだということに。

もう、普段から物凄く渇望していたし、
芝居とか観に行くと、いても立ってもいられない自分がいるのが分かった。

手元から手放されてみないと見えないことってあるんだなと、
つくづく実感した訳ですな。


昨年自分は、「2008年は自分にとってターニングポイントの年となった」
と書いていたのですが、それは2009年を経てまさにその通りのこととなったようです。

しかしその時に自分が書いた意味合いとはだいぶ違ってきてますが。

まあ、そこが人生の面白いところなんでしょうな。


来年はどんな1年になることやら。

とりあえずは2月のアゴラの公演から自分の創作はスタートです。

どうぞ来年もよろしくお願い致します。


では、よいお年を!


横山 真
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by yukinone_makoto | 2009-12-31 16:53 | つれづれと
自分は、演劇公演の開演前には必ず、空間(舞台)や小道具に対して

「よろしくお願いします」

と挨拶をしてから本番に臨むようにしております。


これは、昔バスケをやっていた頃の習慣なんです。

バスケの練習を始める時や、試合前と後などに
コートへと挨拶することはスポーツ選手として当たり前のことだからです。

現にプロスポーツの選手は試合会場へと入退場する際には
必ずと言っていいほど一礼をしてから次の行動へとうつっております。


これから本番を迎えようとしている空間に対し礼を失してしまっているような役者が、
「空間に馴染まなければ」とかしたり顔で言っているのは、何か違う気がします。

「空間に対し礼を尽くすということ」はつまり、
「空間と信頼関係を築くということ」でもあります。


「信じる」かどうかは結局のところ自分の心次第であり、
「信じる」ことができたなら、心には余裕が生まれるはずです。

そういう観点から考えてみれば、「人以外の存在に対しても挨拶をする」ということは
あながち非科学的な精神論であるとは言い切れないのではないか、、、とも思います。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2009-04-18 23:31 | つれづれと
先日、ある決断をした。
もう、後には引けない。

が、今のままの現状維持では自分自身が許せなかったのだから、
その決断は必然的なものであったのかもしれない。



今の自分は、「期待に応えよう」という発想に慣れすぎている気がする。

「○○のために」というものに知らず知らずのうち、とらわれてしまっている。

自己犠牲に酔う人は嫌いだと言いながら、その実は自らの気持ちに耳を塞いでいる。


もしかするとそれは、自分を晒すのが怖いからなのかもしれない。

自分のリズムを刻みながら歩けば、
否が応にも自分のリズム感の良し悪しは白日の元に表れる。

それを評価されてしまうことが怖いのかもしれない。


でもそれは、とってもアンフェアなことだ。男らしくない。

人に先にその人のリズムを取らせてから、
様子を伺いつつ自分のリズムを小出しに見せてゆくのだから。



芝居というものは、そういった人の心の弱さを
見事なほどに浮き彫りにしてしまうことを今、非常に痛感している。


人との向き合い方を根本から変えられない限り、今の自分を舞台に上げたくはない。

悔しいけれど、今は本気でそう思っているし、今後もそこへの妥協の余地は一切ないだろう。

決断を下した以上、このまま負け犬で終わるのかどうかは、今後の自分次第である。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2009-04-06 19:54 | つれづれと

曜日の匂い

「曜日の匂い」ってあると思う。

特に分かり易いのは日曜日。
なにかこう、時間の流れ方がゆっくりで、空気が穏やかな感じがする。
特に朝はそれが顕著で、不思議と空気が美味しく感じるため、深呼吸をしたくなる。
そんなこんなで、自分にとって日曜の朝は大好きな空気感のひとつである。

同様に、土曜の夕方の空気も自分は好きだ。
とても生命感に溢れているのに、空気が澄んでいて静かに感じるからである。
そんな空気の中、お祭りの音が遠くから聞こえてくると、もうたまらなくなってくる。
これは平日の空気感にはない感覚だ。


もちろんこれらの感覚は、自らのこれまで生きてきた環境の影響に
よるものが大きい「後付けの印象」であるとも言えるものなのだろうが、
決してそれだけが原因ではないのではないかと自分は思っている。

自分は現在、曜日などは全く関係のない生活を送っている。

もし上記のように「曜日の匂い」の原因が後付けの思い込みによるものであるならば、
そんな自分が、その時に感じた空気感によって「あ、そういえば今日は日曜か」などと
気付くことには少々無理があるのではないだろうか。

やはり、何かしら目に見えないものに影響を受けることで
そういった空気感が生まれているのではないか、と思う。

そしてそれは、一人ひとりの生活のリズムだったり、目線だったり、
目的に対する意思のベクトルの強さであったりするのかもしれない。


そういえば、そういう「曜日の匂い」を感じさせてくれる芝居ってなかなかない気がする。
まあ、もしかしたらこんなことを感じていること自体、少数派の意見だからなのかもしれないが。

でも、もし次演出やる時は、こういうことにも目を向けてみよっかな。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2009-03-23 18:22 | つれづれと
昨日の夜、埼玉西武ライオンズの渡辺久信監督が、
とあるスポーツニュースの番組に出演していて、次のようなことを言っておりました。

「監督はチームリーダーであり、コーチが指導者なんです」
「監督は選手の力を引き出すことが仕事で、指導はコーチに任せるべき」

自分はこれらの言葉に大いに共感しました。
そして同時に、この言葉は演出とトレーナーにもそのまま当てはまることであると思います。
つまりは監督を演出に、コーチをトレーナーに当てはめればよいのです。

自分は以前から、この点については考え続けていたことでした(こちらを参照)。
監督は勝つことが命題であり、演出はよい作品を創り出すことが命題なのです。

現に渡辺監督も、2軍監督時代は「鬼の渡辺」と言われるほどの厳しい監督でした。
それが今や「寛容」という言葉の代名詞と言われるほどの変わり具合です。

これはひとえに渡辺監督自身が与えられた仕事の役割・特性をよく研究し、理解した上で
自らの仕事に挑んでいった結果なのでしょう。


演出も、創作の場では下手に役者を育ててやろうなどという色気を出さず、
「何が作品にとって最善か」という点にひたすら集中し、
手をひとつずつ打ってゆくことが重要なのだと思います。

たしかに演出にも指導者的な能力が必要ではありますが、
それはむしろ自らの演出方針を実現するためのメソッドを的確に伝達できるような能力であり、
役者の地力を底上げするための指導能力とは違うはずです。

役者の地力を付けさせるための指導はトレーナーに任せ、
演出は自らの表現したいものと真摯に向き合うべきです。

渡辺監督の言葉を借りるなら、演出はチームリーダーであり、
役者とはただ役割が違うだけなのだということです。


演出が指導者的な視点を持ち、役者の力量を云々するということは、
作品が演出の思うようにいかなかった際には
「役者の力不足・理解力不足」という言い訳にも繋がってきます。

また、役者の方もそれではいつまで経っても自立できないのではないかと思います。

なぜなら、演出が独裁者である限り役者はそれだけに応えていればよい訳ですから、
「こなす」意識と技術ばかりが身に付いてしまいますし、たとえ結果が出なかったとしても、
こちらにも「演出への責任転嫁」という逃げ道が用意されてしまうためです。

演出と役者が対等な立場に立つからこそ、
それぞれの立場なりの責任が生まれるのではないでしょうか。

渡辺監督の考え方はたしかに寛容ではありますが、責任の所在を明確にしてゆくという
ある意味では厳しさの込められた、まさにプロの考え方なのだなと
昨日の言葉から感じさせられました。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2009-01-05 09:08 | つれづれと

2009年となりました

年も明けましたが、この年末年始は天候に恵まれて
とっても気持ちのよい日々が続いておりますね。
このように穏やかな気持ちで新年の始まりを迎えられたことは、
非常に喜ばしいことであるなと思います。


今年の自分は、変わることや恥をかくことを恐れずに生きてゆこうと思っております。
芝居や指導にしても人間関係にしても、
うまくいっていない時にはまず自分を変えてみようと思うのです。

困難に遭った時、自分以外の人のせいにばかりしていては状況は全く変わりません。
また、人を変えることよりも自分が変わることの方が遥かに容易です。
それに、自分が変われば、自然と相手の接し方も変わってくるのではないかと思います。

ただしひとつ注意しておきたいのが、
自分が変わるといっても自分で全ての責任を抱え込んで、
自分一人で何事も解決しようとするのではないということです。

相手やその事象に対しての接し方や距離感、見方を変えてみようというのが
自分のやろうとしている「自分を変える」ということなのです。


目先の恥や見栄などは捨て置き、最善の結果を生み出す事のみに集中してゆこうと思います。
人の評価というのも無価値だとは思いませんが、第一に優先すべき事ではないと思います。
第一に優先すべき事は、やはり己の内側から湧き上がってくる素直な想いなのではないか。

とにかく自分自身に対して誠実に、そして謙虚に向き合ってゆきたいです。
ひいてはそれが周囲に対する態度にも繋がってくるのだと思いますので。


どうぞ皆様、本年もよろしくお願い致します。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2009-01-04 13:52 | つれづれと
毎朝走っていると、少しずつ季節が移り変わっているのだなという事が強く実感できて、最近は逆にそれが楽しみで走りたくなってくるようになってきた。

いつも自分が走っているコースは自宅近くの川っぺりを20~30分ほどで走っているのだが、寒くなり始めてからはその川の水が冷えて霧が出るようになってきていて、その霧の中から日の出直後の太陽を見てみるととっても幻想的で(朝焼けの時などは特に)、この霧を抜けたらどこか見知らぬ場所へ辿り着くんじゃなかろうかなどと妄想したくもなってくる。
また、夏に比べたら明らかに日の出の時間も遅まっているし、走っている際の足音も硬質的で透き通った音に変わってきているし、空の高さも空気の澄み具合も全然違ってきている。
さらに今日は、霜が降りていて、水溜まりにも氷が張っていた。

たしかに寒くなりたての頃はきつかったが、今はその寒さそのものを楽しめるようになった。
夏はその暑さを楽しめばいいし、冬はその寒さを楽しめばいいんだなと、つくづく思う。

結局のところ、辛さから逃げてばかりいては世界は狭まるばかりなのではないだろうか。
まずは現実を受け入れ、そこから一歩踏み出してみる。
全てはそこからなのだろうなと、走りながらふと思った。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2008-12-15 08:29 | つれづれと
近頃よく感じてしまうのが、演劇関係の人というのは芝居そのものよりも「芝居に関わっている自分」の方が好きな人が多いんだろうなって事です。

だから、やる側の都合しか見えていない。
観る側の都合などはお構いなしだからこそ、自分達の言いたい事を全部詰め込むような事も平気でできてしまうし、お客さんを置いてけぼりにした変なこだわりみたいなものを作品のクオリティを犠牲にしてまで盛り込めたりできてしまうのでしょう。

なんでそんな事になってしまうのかと色々考えてみたのだが、もしかすると「知り合い以外の芝居(或いは表現活動)をあまり観ていない」からというのが大きいのではないかという結論に達しました。

結局、観る側になっても内輪なんです。
内輪だから、たとえ不満を感じたとしても変な仲間意識のせいでそれを問題と捉えられず、そこから何かを学び自分達の活動へ生かそうという意識が稀薄になってしまうのではないだろうか、、、そう思ってしまうのです。

だとしたら、これほど悲しい事はないです。


作品のクオリティは当然の事ながら、空間に一歩足を踏み入れた時の印象、受付をはじめとしたスタッフワーク、美術、音響、照明、当パン、アンケート、前説、後説 etc、、、
それ以外にも、
前日の案内連絡、後日のお礼連絡、広報、web告知、フライヤー(チラシ)、告知DM、お礼DM、予約・問合せへの受付対応 etc、、、
お客さんに関わる事柄を今簡単に思い浮かべてざっと挙げてみただけでも、これほど検証すべきポイントはあります。
また、これは従来のシステムである訳だから、そこに違った切り口を盛り込みたいのであればまさに考える事は無限にあります。

にも関わらず、ただでさえお客さんに不親切な部分の多い今の演劇公演の画一化されたシステムの上へ、更に内輪にしか通用しない発想を乗せてしまう事の怖さに鈍感なのは、本当に危惧すべき問題です。
もっと危機感を持って一つひとつの事柄へと向き合ってゆく事は、これからの演劇が生き残ってゆくために必要不可欠な事なのだと思います。

そしてそれは、演劇そのものに対しての愛がなければ気付けないようにも自分は思います。
少なくとも「演劇をやっている自分」しか見えていない人間では、その発想に他者が絡んでこない訳ですから。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2008-11-30 08:35 | つれづれと

公演への動機

雪の音では、公演の企画及び創作をするにあたってはまず初めに「こういう事やりたい!」という欲求から入ります。
そう思わせてくれるものは、人であったり、戯曲であったり、空間であったり様々です。
まあ、自分の場合、十中八九それは“人”なのですが。

つまり、雪の音での公演は、「この人と一緒にやりたい」というところから始まり、人を軸にしてやりたい事が浮かんできて、その欲求に見合った空間と題材を選んでゆくのです。
もし仮に、その人の都合がつかなかった場合、代役を立てる気など全く考えておりません。

当然そういうやり方なので、準備にはとにかく時間がかかります。
もしかするといつまで経っても公演は打てないような事もあるかもしれません。

おそらく、こういうやり方は「甘い」と言われるかもしれません。
が、自分はそこのところだけは一切の妥協をしたくなくて、妥協するくらいなら公演自体を打たない方がいいと思ってます。

ただし誤解のないように言っておきますと、これは別に代役を立てたり定期的に公演を打つ事が悪いという意味ではなくて、ただ単純に雪の音という創作集団の方針というか理念がそうであるというだけの事であり、どちらが正しいという訳ではないです。
もちろん1人でも多くの方に自分達の創り出した作品を観てもらいたいですし、そのための努力は惜しむつもりは毛頭ありません。
言いたいのは、雪の音として創作するに当たっては何に重きを置いてゆきたいのか、、、それが“人”なのだ、という事です。
第一、雪の音を立ち上げた理由がそれなのですから、貫くのは当たり前の事だと思います。

それは役者だけに限らず、スタッフワークに関しても同様です。
何の考えもなしで、従来よく見られるような役職に人を当てはめるような事はしたくありません。
「この仕事が今回の公演には必要で、だからこそこの人が必要なんだ」という必然性に応じて役職をあててゆくつもりです。
というか、本来、そうあるべきなのではないかなと思ったりもしているのですが。

場合によっては「空間美術」「制作」「広報」「トレーナー」だけでもよいと思っております。
まあ、そこら辺に関してはまた別の機会に書こうかと。


「天地人」という言葉があります。
今、その中で自分が最も重視している「人の和」には手応えを感じつつあります。
という訳で、今後問題になってくるのは「天の時」と「地の利」という事になってきます。

相当効率の悪いやり方である事は分かっておりますが、最後まで貫いてゆきたい。
うん、がんばります。


横山 真
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by yukinone_makoto | 2008-11-19 20:46 | つれづれと