演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

10/24(金)『ブルーとベリー~』 本番8日前

10/24(金)11:00~22:00 天候:雨 @青少年学習センター・和室

【外界への印象】
《気候》
・雨脚の強さによって雨の音が聞こえたり聞こえなかったり
・それほど寒さは感じない

《空間》
◆和室
・昨日の経験のためか、舞台面も部屋自体も広く感じた
・今日は不思議と空間に馴染みやすかった

【稽古前の身体状況】
●咳が出る
●立った時に重心が左足に乗りがち
●関節の一つひとつに疲労が蓄積しており、ロックがかかっている

【本日のテーマ】
◆今一度、己の心の声に耳を傾ける意識を強く持つ

【本日の稽古レポート】
作品の構成も後半へと入り、だいぶ全体像が見えてきた。

シーンの順番やシーンとシーンの被せ方をどう組み立ててゆくかで、マームの芝居は観客に与える印象が大きく変化する。
それは映像作品でも同様の事が言えるのだが、舞台の場合は役者の身体がひとつしかないのだし、しかも前のシーンで存在していた人や物がシーンが変わったからといって消滅する事もない訳で、映像のように簡単に編集できるものではないのである。

しかし、このように舞台で行うには非常に面倒な手法でなければ表現できないものがあって、それがマームの持ち味でもあるのだ。

作中ではシーン毎に時間軸も頻繁に行き来するし、空間もめまぐるしく変化してゆく。
また、前のシーンで使っていた小道具がそのまま残っている状態で別のシーンが進行したりもするし、シーンを積み重ねてゆく毎に役者の身体も高まってくる。
これらは、単純に作品へリアルさだけを求めたりしていたなら矛盾にしか受け取る事のできないものではある。
が、その矛盾点のようなものを敢えて残し、表現に利用してしまうからこそ、舞台でしか感じ取る事のできない独特の空間が生まれてくるのだと思う。

ただし、ここで最も重要になってくるのは、「役者の身体だけは、初めから終わりまでリアルでなければならない」という事。
これはマームの芝居に限らず舞台表現全般に通じる事なのかもしれないのだが、どんなに世界観が独特で好感を持たれようが、どんなに作品の構成が面白いものであろうが、役者の身体がそこに伴っていなければ、、、言い方を変えるなら役者の身体が嘘をついていたならば、作品の質は著しく低下してしまうだろう。
逆に言えば、役者の身体が終始リアルでいられるならば――そこがマームの表現での一番の難所ではあるのだが――それだけで奇跡のような作品が生まれるのだではないかと思う。

初日まで残り一週間。
どこまでその奇跡へ近付けるか、道は困難を極めるであろうが、本当に楽しみである。

次回の稽古は10/25(土)です。


【次回稽古(10/25)へ向けて】
◆宿題:徐々に現れ始めている不調箇所のケア
◆テーマ:相手との間にあるものを信じる


横山 真
[PR]
by yukinone_makoto | 2008-10-25 01:02 | 稽古場日記