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演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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8/8(水) 『方丈の海』稽古48日目

8/8(水)20:00~22:30(第3回目通し) @卸町イベント倉庫

【外界への印象】
《天候》
●曇りときどき雨
・しっとりとした、少々肌寒さすら感じる空気
《空間》
・音の聞こえ方があまり濁りの感じない、すっきりとした音に感じる

【稽古前の身体状況】
・首の後ろの付け根の辺りがかなり痛む
・それに伴って首が前に出気味
・腰が姿勢によっては痛む、というか、かーっと熱くなるような感じがする
・右肘を若干捻ったような痛みがする
・身体が左側に傾いでいるように感じる

【今日のテーマ】
◆今の身体に嘘はつかず、今の身体のベストを探る

【ふりかえり】
本日3回目の通し。

回を重ねてゆく毎に、たしかに作品としてはまとまってきてはいるような気はしてきている。
が、どうも自分の中では何かが決定的に欠けているような、そんな感触があった今日の通しであった。

その“何か”とは何なのだろうか。

これは個人的な印象からの意見なので実際のところがどうであるかはわからないのだが、自分としてはその“何か”とは“切実さ”なのではないのか、と思っている。
これは自分自身も含めて、のことである。

自分達が今回の作品で扱っているものが何なのか、今一度改めて考え直してみる必要があるのではないだろうか。
もちろん力を尽くしていないとか手を抜いているとか、そんな訳ではないことは百も承知の上での意見だ。
みんな頑張っているし、むしろかなり無理している部分も確かにあるとは思う。

が、しかし、その一方では、どこかで震災と向き合うことに馴れてきてしまっているのではないか、とも感じるのだ。
たしかに全力で向き合っているのかもしれないが、しかし、その向き合い方が、例えば「切実であること」そのものを目的にしてしまったりと、ずれてきてしまっているように感じてしまう瞬間があるのである。

切実さ、というものは、想いそのものではないはずで、切実さ単体で成立するものではないはずだ。
にも関わらず、その成立し得ない状態を目的としてしまっては、その人の行動の輪郭がぼやけてしまって当然なのではないかなと思う。


自分達は何故、この作品に挑もうと思ったのか、本番を3週間後に控えた今だからこそ、思い出してみる必要があるのかもしれない。
でないと、仏作って魂入れずの状態に陥り、ただただそれっぽいだけの作品に止まってしまうかもしれないのだから。

それは、決して許される話ではないと思う。
別に負担に考える必要はないと思うが、しかし自分達の背負っているものの大きさと、そこへの畏れの心だけは、決して忘れてはならないことだ。
ならばそれに見合った行動を採ってゆかねば。

【備忘録】
・全体的に、特に小節の長台詞のシーンで顕著なのだが、芝居が形になってきてしまっている。但し形になっているのは台詞の発し方や動きなどではなく、芝居へと臨む心持ちの方。もっともっと内側を揺さぶってゆかないと、どんなに台詞の言い回しを変えようが全く同じことでしかない。そんな底の浅い人間なのか小節は?この程度の心の揺らぎで十分だと思っているのならばあまりにも小節という役のことを過小評価し過ぎだろう。自分の価値観に近付けようとするな。そこから飛び出す勇気を持て。

次回の稽古は8/9(木)になります。

【次回(8/9)稽古に向けて】
◆宿題…とにかく身体を労わる
◆テーマ…内側の揺さぶり


横山 真
by yukinone_makoto | 2012-08-09 01:41 | 稽古場日記