演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

5/24(木) 『方丈の海』稽古6日目

5/24(木)20:00~22:00 @IQ150スタジオ

【外界への印象】
《天候》
●晴れ時々くもり
・少し風に湿り気が混じっているような感じがした
《空間》
・視覚的印象:ぼんやり広く感じて、距離感が掴みにくい
・音:音が散ってしまうためか、気付くと声の響きを自分の中に引っ込めてしまいそうになる
・その他:床が硬い訳ではないけど、硬質な感触はする

【稽古前の身体状況】
・腰が鈍く痛む
・喉がすっきりせず、変な咳が出る
・首の後ろから肩にかけてが凝り固まっている
・肚が定まってない、ふわふわした感じ
・視野が狭い

【今日のテーマ】
◆身体で反応し、身体で考える

【ふりかえり】
今日は、各役のシーンをある程度掘り下げつつさらってゆく感じの稽古であった。

自分は、襤鏤とのシーンを細かく返しながらもざっと流す感じでの稽古で、石川さんからは、小節という役の核心の部分へとアプローチしてゆくためのヒントをいくつか提示してもらったりもした。
たしかに、今の自分は、ああだこうだと台詞をいじくり回しているだけで、小節という役の核心の部分にはまだほとんど触れられてはいないような気がしている。
だから、台詞を聞いている分には発している言葉一つひとつのイメージもそれなりにはっきりしているし、感情の流れもすっきり整理されていて観易くはあるのだろうな、という実感は持てている。

が、はっきり言って、それだけなのだ。
綺麗に整えられているだけで、横山真という人間がこの役を演じるということに、何も引っ掛かりも存在していない。
小節と呼ばれている役を、それっぽい感じで、まあそうやるよね、という地点で、ただ台詞を読み上げているだけなのだ。

何故、そこまで小節という役と、横山という人間の間に温度差が生まれてしまっているのか。

もしかすると今の自分は、台本に書かれていることに従順すぎるのかもしれない。
もっと目の前にいる存在、例えば今回のシーンであるならば襤鏤役である絵永さんとの間に生まれてくるものに身を委ねてもいいのではないか。
それは行き当たりばったりにやる、ということではないし、もちろん台本の存在を無視するようなこととも違う。
自らの中に抱いている小節という役の存在と、目の前にいる襤鏤という役(であり絵永さんでもある)の存在と、そして手持ちのカードとしての台本に書かれた台詞やト書き、、、これらを駆使して如何に楽しく遊ぶことができるか(まあ、だからといって面白おかしくやる、とは意味が違うが)、ということだ。

しかし今はその比重の中で、台本の存在が大きすぎるように思う。
それはもはや、台本に頼ってしまっている、とも言ってもいい。
それでは台本を離した状態で稽古をしていたって変わらないだろう。

「○○せねばならない」という発想を如何にして手放すことができるか。
そこが今後の課題になってくるのかもしれない。

【備忘録】
・小道具の捌きをちゃんと考える。その物と役の関係についてやこれまでの歴史について、大きなところも細かなところもしっかり具体的にしてゆく。

・小節にとって海とは?そこのところをまだ雰囲気でやってしまっているような気がする。もっと切実なところで身体に反映させてゆかねば後々になって苦労することになると思う。

次回の横山の稽古参加は5/27(日)になります。

【次回(5/27)稽古に向けて】
◆宿題…体調が若干崩れ気味なので、しっかり整える
◆テーマ…目の前の存在を、しっかり感じる


横山 真
[PR]
by yukinone_makoto | 2012-05-26 23:50 | 稽古場日記