演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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3/4(日) 『方丈の海』 稽古2日目

3/4(日)13:00~16:00 @瀧澤寺・観音堂

【外界への印象】
《天候》
●晴れ
・陽射しが柔らかいせいか音まで柔らかく感じた
《空間》
・視覚的印象:襖も閉めていて外が見えないのに、圧迫感はない
・音:響き過ぎず吸収し過ぎず、すっきり声が通る
・その他:不思議と落ち着く感じ

【稽古前の身体状況】
・猫背気味な感覚
・首周りにロックがかかっている
・少し肚が浮き気味
・顎周りが固い
・身体がやや右側に傾いでいる

【今日のテーマ】
◆言葉を振り切る(速度ではないところで)

【ふりかえり】
前回の稽古時にさっぱりだった宮城弁。
その克服のため、今回の稽古に臨むまでにとにかく色んな媒体を駆使して聞きまくっていたのだが、どうもそれが変な色を台詞に付けてしまっていたようだ。

但しまあ、その反面、身体に方言の持つ独特の質というか性質のようなものが染み付いてきているようで、変に意識的に方言っぽく話そうとしなくてもある程度はそのニュアンスが滲み出てくるようになっていたのは結果的にではあるけれどもよい傾向である、とも捉えられる気がする。
まあ、重要なのはそれをどこまで自覚し、利用できるか、ということになってくるのだろうとは思うのだが。

たぶん、うまく乗りこなせれば(ただ、もっと突き詰めて研究はしてゆく必要はあるけれども)、またそこから新たな発見に結びつくかもしれないとも思っていて、普段自分達が使っている言葉とは違った言葉を用いて役や作品と向き合うことによって、普段の言葉遣いで行ってきた創作の時とは違った向き合い方を見出せるかもしれない。
もしそんな発見に出会うことができたなら、それは創作の際の選択肢が拡がる訳で、選択肢が拡がるということはつまり今後の俳優としての活動を続けてゆくにあたって非常に強力な武器を手に入れることになる訳だ。
なので、徹底してこの方言とは向き合ってゆきたいなと思う。


小節という役については、今回の読みでだいぶ定めるべき照準は定まってきつつあるなと思っている。
が、自分の俳優としての特性を考えると、もう少しその照準に迷いを持たせたままにしておいてもいいのかもしれないなとも思っていて、それはどういうことかというと、今のままその定まりつつある照準をすんなり合わせにいってしまうと、後々必要になってくるであろう小節という役の意外な一面を見出しにくくしてしまうような気がしているためである。

まだまだ稽古は始まったばかりなのだし、「役を固める」なんてことはあまりにも馬鹿げた話だ。
それならば、もっともっと沢山の失敗を重ねてみたり、恥をかいていったりする中でしか見出せないものを探ってみることも必要なことだと思うのだ。
それが、3ヶ月間という長い稽古期間の現場だからこそできるアプローチなのだと思っている。
なので、これがもし1ヶ月間とか数週間しかないような現場であるならば、また違ったアプローチの仕方で稽古には臨んでいた。
ただ、それでも一度創り上げてきたものを崩す、という作業は創作において必須のことだとは思っているので、どの稽古スパンであっても踏まねばならない手順のようなものは押さえていなければ、どんなに稽古期間が長かろうが役は骨抜きになってしまうと思う。
案外、稽古期間が短い時の方が瞬発力だけで勝負できるので濃密な集中力を以てその必要とされる手順を強い力と意志で確実に踏んでゆくことができ易かったりもする。
逆に、長い稽古期間であるがためになあなあになってしまって踏むべき手順を踏めずに、或いは踏んでいても中途半端に踏んでいるだけで土台の脆い役や作品にしか仕上がらないような時も沢山ある。

では、どうするとそのような中途半端な結果を生まずに済ますことができるのだろうか。
その答えは今の自分にははっきりとは分からない。
これだけ長い稽古期間の現場というのは、一度だけしか経験していないからだ。

が、その少ない経験の中でもひとつだけ言えることがあって、それは、短い稽古期間でやっていることをただそのまま引き伸ばしたりしても、それは有効であるとは言えない、ということ。
やはり長い稽古期間の時には、長い期間なりのアプローチの仕方、ペース配分があるのだ。

や、とはいっても長い稽古期間に耐えられるよう体力を温存しろ、とか、手を緩めろ、とか、そんなことを言うつもりはない。
もちろん一回一回の稽古へ全力で取り組んでゆくことは大前提にあった上のことで、重要なのは、その全力を注ぐポイントなんだと思う。

これは自分がよくやることなのだが、役の感触を掴むために多少無茶をしていつもよりも自らの身体へ負荷を多めにかけてみることがある。
分り易い例で言うと、喉を潰すことを恐れず、わざと無理のある負担の多い発声方法で台詞を発してみて、一度振り切った身体の状態を体験してみたりもしたことがある。
これは自分がボイトレ指導も行っている人間だからこそできることでもあるのだが、しかしこういうことは稽古期間が短ければさすがに怖くてできない。発声について知っているからこそ余計にだ。
まあ、これは極端な例ではあるが、こういうような無茶は、稽古期間が長いからこそやれるアプローチだと思う。

それ以外でも、稽古期間が長いがためにできることといえば例えば、演出に「ここはどういうイメージなのか」というような質問をしたくなっても一呼吸我慢して、自らで考えてみる時間をいつもより多めに持ってみる、とか、先に書いたようにいつもなら役の方向性を絞り込むタイミングだなと感じてきたとしても敢えてもう少し迷ってみる、とか、そういう意味合いでの無茶もやれる利点がある。

なので、その利点を活かさない手はないなと、思っている。

たぶんここで挙げた以外にも、実際に取り組んでゆく中で色々と分かってくることはあるだろうから、そういう気付きを敏感に察知できるようアンテナをしっかりと張りながら、日々の稽古に臨んでゆきたいなと思う。


もうひとつ、この日感じたこととして挙げられることがあって、それを平田オリザ氏風に言うならば、自らのコンテクスト(文脈)と石川さんのコンテクストとの刷り合わせがうまくいききれていないのかもしれないな、という点。
いや、正確に言えば、下手に分かってしまう部分が多いために、分かりきれない微妙な認識のズレの部分が見えにくくなってしまっているのだ。
もう少しお互いの持つ言葉の認識にズレがあった方が、却って自覚し易かったし、もうちょっと早くそこの点についての対応ができていたのかもしれないなと、そんな風に思った。

しかしまあ、こうしてそのことを自覚することができたのだから、今すぐは無理でも、たぶん今後そのズレをうまく埋めてゆけるようにしてゆけるかと思う。


まだまだ課題は沢山あるし、見えてきていない課題の方が多いと思う。
けれども、だからこそ楽しい訳だし、むしろ望むところだ。

次の稽古でも、その課題一つひとつとしっかり向き合い、確実に一歩ずつ歩んでゆきたいなと、そう思う。


次回の稽古は3/6(火)になります。

【次回(3/6)稽古に向けて】
◆宿題…小節という役の身体について考えてみる
◆テーマ…内側のせめぎ合い


横山 真
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by yukinone_makoto | 2012-03-06 15:26 | 稽古場日記