演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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1/26(火) 『たゆたう、もえる』 稽古22日目

1/26(火)17:30~22:00 @青少年学習センター・講習室

【外界への印象】
《天候》
●晴れ
・多少、風が強くなっているせいか、空気は暖かいのに手や顔などの露出部分は物凄く冷たくなっている
《空間》
●講習室
・視覚的印象:いつもよりも部屋に置いてある物がごちゃごちゃしているように感じて気になった
・音:他の部屋の物音が気になった
・その他:ゆったりとした気持ちでいられた

【身体状況】
・全身が、なんとなく重い
・特に、腰が痛む
・呼吸が浅く、声の響きが内に篭りやすくなっている
・肚が浮いてる


【今日のテーマ】
◆手放す

【レポート】
今日はそうたのシーンに追加があった。
また、先日のしんや(りき君の役)とのシーンでも台詞の追加があり、久々にしっかりと稽古をやれたような気がする。

が、その結果、反省点ばかりが目立つ稽古内容となってしまい、非常に悔しい思いをしている。

一時期は台詞の入りも早くなったように感じていたのだが、今日の自分はそれもグダグタで、目茶苦茶な言葉を垂れ流してしまう瞬間が何度もあった。
藤田君にもダメ出し時に言われたが、これは自分の中に言葉を発するためのイメージがしっかりと持てていない証拠である。

たぶん、自分の台詞の入れ方にも問題があるのかもしれないなと思う。
たしかに口立てでどんどん台詞が加わってゆく今のやり方には不慣れだし、苦手ではあるのだが、しかしそんなことは自分個人の都合であって、創作にとっては全く関係のないことである。
不慣れだとか苦手だとか思う前に、やれる手立てを見い出してゆかねば、周りの足を引っ張るばかりであることを忘れてはならないと思う。

ただ、そういう気持ちの面の話だけではなく、他にも台詞の入りが遅い原因はあって、やはり役のことが掴みきれていないために一つひとつの台詞が単発で発されてしまい、一貫した感情やイメージの流れとして繋がってこないことも大きいのかもしれない。
同じシーンの稽古を返す度に微妙に言葉のイメージのニュアンスがかわってしまうのも、そこに起因しているように思う。


今日の稽古で気付いた点色々(備忘録)

◆まだまだ言葉のイメージがざっくりし過ぎていて、だから実感のある声になりきれていないような気がする。また、妻であるあさの父のことを「親父」と言い間違えてしまうなど、もし具体的なイメージを持っていたのならば絶対に間違えないであろう言い間違いをしてしまっていたのは、自分が如何に雰囲気で芝居をやっているのかを象徴している。
◆消化不良な言葉を、それっぽく笑いながら発したりしてお茶を濁してしまう癖がちょくちょく顔を出す。稽古なんだから、消化不良を誤魔化そうとするのではなく、敢えて分からないことに飛び込んでみるべきだ。でないと、クリエイティブな稽古にはなってゆかないと思う。
◆言葉の順序にとらわれ過ぎ。正確であるに越したことはないが、一番大切にしなければならないものはそこではないはず。今の自分が犠牲にしてしまっているものが、本当に犠牲にしていいものなのかよく考えてみるべきなんじゃないか。

こうしてみると、今日は言葉との向き合い方に関するものばかりだったな、、、


まあ、今日のシーンの追加によって、そうたという役のことがかなり好きにはなれてきたのはかなり大きな収穫であった。
それだけに、今日色々と試しながら食い散らかしてきた物達を、しっかり回収して整理整頓しておかねばなと思う。


次回の稽古は1/26(火)になります。

【次回(1/26)の稽古に向けて】
◆宿題…今日の稽古のフィードバックと、そこから見えてくるであろうそうた像についての考察
◆テーマ…一つひとつを丁寧に、流さない


横山 真
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by yukinone_makoto | 2010-01-27 00:59 | 稽古場日記