演劇家・横山真が己の表現の追求・具現化のために発足したプロデュースユニット。生(LIVE)の表現にこだわり、演者から発せられる音・熱・呼吸・視覚的印象などを五感+αで感じられる作品創造を目指す。


by yukinone_makoto
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1/19(火) 『たゆたう、もえる』 稽古16日目

1/19(火)17:00~22:00 @青少年学習センター・大会議室

【外界への印象】
《天候》
●晴れ
・暖かいを通り越して暑さすら感じてしまうんじゃないかと感じる気候
《空間》
●大会議室
・視覚的印象:縦長の空間であったせいか、人との距離感が実際よりも遠くに見えた
・音:空間に響く音の拡がり方に、色ムラが目立つような感じがした
・その他:空調の位置の関係なのだろうが、舞台上にいると温風が直に当たって喉などが渇く

【身体状況】
・左の脛が妙に痛む
・目がごろごろする
・腰辺りを中心に、背面部が重だるい
・気持ちが穏やか

【今日のテーマ】
◆言葉にしない

【レポート】
今日は、一昨日の稽古時とは裏腹に、薄っぺらいところでの芝居に終始してしまったように感じた。
身体にも声にも、その色合いに変化が見られず、ただぼんやりと舞台上のやりとりが進行してゆくだけのつまらないシーンとなってしまっていた。

それは何故に起こってしまったのか、色々と考えてみた。
そうして到った結論は、「今日の自分が抱いていたものは“信頼”ではなく“依存”であったのではないか」ということ。
目の前の相手から発せられるものを、全て自分の都合のよい方向に解釈してしまい、結果、ただ場の流れに流されるがままにシーンを進行させてしまったのだ。

相手役のプリン(冨山さん)は、場の空気をぐいぐいと引っ張ってゆけるとてつもない支配力を持った女優さんである。
それだけに、そんな彼女の支配している流れに乗っかってしまえば、余計なエネルギーを消耗することなく楽にシーンを成立させることができてしまうし、そうしてしまった方が、不安にさいなまれる心配も格段に減ったりもしてしまう。

が、そんなものは信頼でも何でもなく、単なる「依存」でしかない。

葛藤もない、不安もない、衝突もない、変化もない。

そんな事なかれ主義的な発想の中からは、決して感動は生まれてこないと思う。
また、そんな発想では自らの役者としてのアイデンティティもへったくれもない訳で、自分がその役をやる必然性も全くないことになってしまう。


思い返してみれば、一昨日の稽古の時には「信じる」ということにしっかり「責任」を持てていた気がする。
だから、その「信頼」の中には「不安」や「怖れ」のようなネガティブな要素も入っていた。

しかし今日の自分には、その「責任」が決定的に欠けていた。
「責任」が抜け落ち、それに伴ってネガティブな要素が含まれなくなってしまった信頼なんてのは、単なる「楽観主義」なだけだ。

やはり人にせよ何にせよ、真に「信じる」ということはとてもおっかないことであり、だからこそ、それを貫くためには心が強くならないと駄目なのだと思う。

このことに気付けただけでも、今日の稽古での停滞には価値があったのではないかと。


まあ、とはいっても稽古後半にはそこら辺もだいぶ修正できていたし(但しまだその精度についてはかなりのムラがあったのだが)、ほんの少しの意識の持ち方の変化が、大きな差へと繋がってきてしまっているだけなのかもしれない。


次回の稽古は1/20(水)になります。

【次回(1/20)の稽古に向けて】
◆宿題…今日の稽古での反省点を具体的に挙げてみる
◆テーマ…ネガティブに蓋をしない


横山 真
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by yukinone_makoto | 2010-01-20 01:57 | 稽古場日記